『論語』は「混迷の時代のバイブル」

ついこの間までの寒さはどこへ?――あっという間に春の陽気の東京です。
皆さんにもお変わりありませんか。

さて、今日はガラリと趣向を変えて「聖書」と並び称される古典中の古典、『論語』の話をしてみましょう。

「きらら先生が論語? ミスマッチじゃない?」

そう驚かないでください。自慢じゃないけど、こう見えても小さい頃に“論語博士”だった母の膝の上で、絵本代わりに「論語」を“勉強”させられたお蔭で(もちろん当時はただ読むだけで意味は分かりませんでしたが)今でもちょっとした“論語通”。――「己所不欲 勿施於人」「徳不孤 必有隣」「人而無信 不知其可也」などと、何の脈絡もなく口に出てくることがあります。

『論語』は、今から2500年程前の中国で活躍した孔子が話したことや実践したことを記した、いわば彼の言行録です。

孔子は、巫子さんだった母の私生児として生まれ、その母とも少年時代に死別、大変な苦労を重ねて育ったといわれています。
そんな境遇にあって独学で学問を修め政治家になるのですが、それも志半ばで引退。結局、生涯のほとんどを逆境のなかで過ごして74歳でこの世を去っています。

決して恵まれた人生ではありませんでしたが、そんな孔子が残した『論語』が後世の人たちに長きに亘って読み継がれて来たのでしょうか。

ひと言でいえば、苦労人の視点で書かれた「人間を理解するための最高の教科書」だからと、私は思っています。

孔子の偉大なところは、人生の苦労に負けず、不遇な境遇を恨まず、常に背筋を伸ばし、アグレッシブな姿勢で人生にチャレンジしたところです。
特に政治の世界から身を引いた晩年に、有用な人材を育てるために開いた「孔子塾」での弟子たちとの“目からウロコ”の政治問答は、迷走する現在の政治の“最高の処方箋”だと思います。

「人世を知る者は 最も理想に燃える」――世を知って世を捨てず、自分を知って自分を捨てず、理想に向かって全力でぶつかる。――何となく古臭くて、とっきにくい感じがする『論語』ですが、混迷の時代にうってつけの“新しいバイブル”としてイチオシ。是非一度、手にとってみてください。

きらら(3/11)