「叱り上手、叱り下手」‐②‐

WindowSさん行きつけの料亭に着きました。
「女将、来たでぇ。今日はの主賓は、ワシの“人生案内人”のきらら先生や。あんじょう頼むで」

「ようこそ」――深々と頭を下げる女将さんの挨拶もウワの空。私はコチコチです。
「先生も遠慮せんと、早う上がりいや。おう、ゲンさん、元気か。いつもありがとうな。これ少ないけど取っとき」
Sさんは、下足番のゲンさんにポチ袋をさりげなく渡していました。

「ほな、行こか。女将、これをお運びさんに渡しといてくれや」
何枚かのポチ袋を女将さんに託したSさんは、まるで勝手知ったる我が家の如く、さっさと奥へ奥へと進みます。

「この店の料理は京都でも指折りや。鳩が豆鉄砲食らったような顔しとらんと、さあさあ膝を崩して。存分に京都を満喫して帰ってな」

次から次に出されるお料理は、どれもこれもが「京都」そのもの。日本中の美味しい食材が集まるといわれる東京でもお目にかかったことがないメニューばかりでした。

それに加えて、女将さんはじめ、お運びさんたちの心のこもった「おもてなし」で、食べ心地、居心地は文句なしの100点。――「ごちそうさまでした。美味しかったぁ~」――もう心もお腹も一杯です。

「ほうかぁ、そりゃあ良かった。おそらくこれがワシからきらら先生への“最初で最後の接待”になるやろけど、こんなに喜んでくれたら、もう思い残すことはないわ(笑)」

「Sさんには長生きして、またご馳走して貰いたいとおもっているのに、最後だなんて…何を仰います」

宴もそろそろ終わりに近づきました。
「今日は本当にありがとうございました。お料理はもちろん、皆さんの細やかなお心遣いは『これぞ、おもてなし』という“接待の極意”を教えて貰ったような気がします」

「料理だけでのうて、“おもてなし”を褒めるなんて、さすがはきらら先生やな。接待で肝心なんは、相手に気分良く寛いでもらうことや。そのためには心がなかったらアカン。心が伴ってなければ、せっかくの料理も台無しやし、第一、カネの無駄遣いや。カネのことを言うのは無粋やが、きらら先生やから正味のことを言うと、さっきゲンさんに渡した袋に入れたのは片手、お運びさんには3本づつ、芸妓には1本づつや。普通なら逆だろうが、ワシは『下に厚く、上に薄く』がモットーや」

何故なんだろう?

「たとえば、帰り際の玄関で他の座敷のお客と鉢合わせになった時、真っ先に揃えてくれるのは、どっちの客の靴やと思う?(笑)――靴を出すのが先だろうと後だろうと、どっちでもエエことかも知らんが、そんなちょっとしたことで『ああ、大事にされとる』と思うのも、また人間や。接待するからには中途半端はイカン。誠心誠意“極上の気配り”こそが、ホンマもんのもてなしや」

「人世で一番大切なのは心だ」――――前回の「叱り上手、叱り下手」の話、そして今回の「おもてなしの極意」の話。――Sさんの言葉を昨日のことのように思い出している私です。

きらら(3/4)