『親孝行の前倒し』
ナントカのひとつ覚えで恐縮ですが、「天変地異は為政の乱れゆえ」という古人の指摘は、やはり正しい(笑)と言わざるを得ません。
令和になって「死語」になった言葉は幾つもありますが、「親孝行」もそのひとつでしょう。
国語辞典によれば「親孝行」とは「子どもが育ててくれた親を大切にし、真心をもってよく尽くすこと」とあります。
昭和の時代には、親孝行をする、しないにかかわらず普通に使われていました。
しかし、いつの間にやらほとんど聞かれなくなり、その代わりに登場したのが、親たちが口にするようになったのが、「子どもに迷惑を掛けないようにしたい」という言葉です。
つまり大切に思う気持ちが、<子ども→親>でなく<親→子ども>と反対になったのです。
これも時代の流れと言うのは簡単ですが、これでは子どもは親孝行をしない非情な存在なのでしょうか。
この点について、先日「きらら館」にお見えになった某幼稚園のJ園長に聞いてみました。
――いつから子どもたちの口から親孝行という単語が消えてしまったのでしょうか。
「昭和の末期~平成の初め頃のように思います」
――子どもたちの意識が変わった?
「そもそも親孝行云々は親が決めることですから、無条件に愛らしい幼児時代(2歳~5歳)の言動こそが親孝行だと親自身が判断しているのではと思います」
――昭和時代の幼児も可愛らしい時代はあったはずですが…。
「親の方が『可愛いのは当り前』と思い、親孝行は一人前になってからするものと決めつけていたのでしょう。
それが、少子化ということもあって、親たちの意識の変化が親孝行を死語にしてしまったのでしょう」
――要するに「親孝行」が“前倒し”になった?
「他には、良い悪いではなく、家制度の崩壊に伴う親子間の“情け”の変化も影響しているのでは…」
――時代は「家」より「個」を大切にする風潮です。
「『個』に重きを置けば、『親孝行』だけでなく、『母の日』、『敬老の日』など古き良き時代の家族間の慣習も徐々に形骸化するのでは?と思います」
――婚姻時の“姓の選択”も、広い意味では『家制度』の崩壊に拍車が…。
「でしょうね。我々が『男と女は平等であるべし』の見本のような国と思っているアメリカでは、「専業主婦」こそが女性の最高の生き方なのに…(笑)」