『総理の顔は時代の顔』
「握一点 開無窮」――新しい年が明けました。
昨年は天変地異の連続で散々な一年だっただけに、「今年こそは~」と期待したものの、昨夏の猛暑の裏返しか、年初早々から裏日本を中心に大雪。
自然の前にはなす術もない、ニンゲンの無力さを感じずにはいられません。
こんなありがたくない年回りに日本、そして世界はどんな動きになるのでしょうか。
「総理(大統領)の顔は時代の顔」――国のトップは、人相の良し悪しではなく、本人が「なりたくてなれるものではなく時代が決めるものだ」という意味ですが、この先人の言葉に従えば、残念ながら、今年もまた期待には程遠いものになりそうです。
首相官邸ホームページ, CC 表示 4.0, wikimediaによる
まず、日本。――30年間の怠惰な政治の反動で、「悪い時には悪いことが重なる」もの。
先の衆院選で自公政権が少数与党になってしまったことで、タイムリーな方針を決めたくても、これまでの政高官僚を裏返しにした意見が先行、スピード感に欠ける政策を余儀なくされるのは必至。
気たるべき参院選の結果によっては、さらなる底値を目指す可能性も十分である。
しかし、そうした事象は、すべて「時代」という人智の及ばない「力」の所為であり、現総理の能力、責任云々を論ずるのは、近視眼的な判断と言うべきであろう。
一方、世界はどうか。――未だに止む気配のないウクライナ&イスラエル戦争の混乱に合わせるかのように「天上天下 唯我独尊」を信条とする”暴れん坊大統領”が登場するとは、これまた歴史の配材か。
巷間「戦争を嫌い、利益を追求する人物」と評されているが、グリーンランド、パナマ運河問題のようになど横車を押すことしか眼中にない御仁だけに「天国発 地獄行きの特急券」を乱発することも無きにしも非ず。
だからと言って、これまた新大統領を「おかしい」「異常だ」と批判するのは、当たらない批判と言えよう。
歴史は常に真っ当ではない。
きらら(1/12)