『思い出の昭和の傑人たち』
――1年間、毎週、テーマ不定であれこれ教えて戴きましたが、今年最後の「週刊きらら」になりました。
「アッという間だったような気がするが、振り返って思うことは『人が変われば時代が変わる』という先人の言葉だな」
――今年はわたしでも名前を聞いたことがある「昭和」という時代に活躍した人たちが数多く、旅立ちました。
「そうだな。昭和時代を生きた者にとっては寂しい気がしないでもないが、これが『時代』というもの。『温故知新』――少しでも良い時代になることを期待したいな」
――各界、多くの方とお付き合いがあった先生のこと、匿名で結構ですから印象に残った方のことを教えてください。
「有名、無名、少なくない方のことを思い出すが、特にきらら先生に鑑定して頂いた方たちを取り上げることにしてみよう。――最も強烈に思い出すのがS氏だな。
世間では毀誉褒貶、評価は分かれるが、『人生は義理と人情と浪花節』を人生訓として蓄財とは無縁。徒手空拳で大企業の礎を築いた彼の人生はまさに日本人だったな」
――なるほど。分かるような気がします。
「次が、N氏。あのビジネスに懸けたバイタリティは空前絶後。最後は権力に潰されてしまったが、あの先見性に富んだ商魂は、3本の指に入る昭和の傑物と言っても過言ではないと思うな。
H氏もすごかったな。目指すは<世界のH社>、世界的な大企業になっても、H社の商品を販売する全国の末端業者を御大自らが足を運び、1升瓶を囲み車座で激励する姿は今も忘れられないときららさんも言ってたな」
――みんな令和の時代には考えられない方たちばかりですね。
「今年、長い闘病生活の末に旅立ったT氏も忘れられないな。1時間限定でアポをもらったのに結局、5時間。バネがはみ出たソファーで日本の医学界について語る姿はまさに”医学界の鬼神”だったな。
また”財界フィクサー”と呼ばれたS氏の片腕としていぶし銀のような働きをしたK氏、そして大物閣僚の影武者として名を馳せたM氏も思い出に残る人物だな。
K氏はきららさんがお気に入りで、何かあると必ず相談していたみたいだなww」
――いずれの方も”知られざる実力者”ばかりですが、そういえば、きららさんは、鑑定のたびにご馳走になっていたK氏のことを”築地のしめ鯖先生”って呼んでいましたねww。
「語れば尽きないが、昭和時代を語れば紙幅が足りないので、残りは来年に折があれば話すことにすることしして、今日はこれで幕にしようかな」
――ホント1年間、ご苦労様でした。
「みんなにも佳い年を迎えて欲しいな。あんまり期待はできないがww」