「結縁・尊縁・随縁」

相変わらずのコロナ騒ぎ。

いい加減うんざりさせられますが、油断大敵。

マスクと三蜜回避で自分自身を守ってください。

寒暖の差が大きい日が続いています。

これまた油断大敵です。

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いつも言うことですが、「縁」というのは不思議なものです。

恋愛・結婚・就職etc――人生を左右するこれらのすべては、「縁」によって形作られるものです。

人も羨む素晴らしい素質、性格の持ち主でも、「縁」に恵まれなければ大きく開花しないし、幸せな生活を送れないものです。
反対に、それほどでもなくても、「縁」に恵まれることで望外の成功、幸せが得られるものです。

タイトルの「結縁・尊縁・隨縁」は、縁を結び、結んだ縁を尊び、その縁に従うという意味ですが、悲しいかな、結んだ縁の良し悪しは、最初に会ったときには分かりません。

「気が合いそうだ」とか、「好感が持てそうだ」と思っても、必ずしもその縁が長続きするとは限りません。
反対に、第一印象で「付き合い辛い人だな」と思っても、接しているうちに「案外 、いい人だな」と思い直すこともあります。

「縁」は異なもの、計算できないだけに、その良し悪しは、即断即決ができにくい難しいものです。
しかし、出会う人、出会う会社を「この縁はわたしにとって良縁なのか、そうでないのか」と神経質に考えるのも厄介です。

ならば、どうすればいいのか。

わたしは、「自分なりの価値判断」=「物差し」をしっかり持つことに尽きると思います。

すなわち、その「物差し」で「この人となら、あるいはこの会社なら、充実した人生を送ることができる」と思えた縁の結び方はたいていが良縁です。

何となくとか、相手の意見に流されたことによる結縁は、たいていが芳しくない縁です。

 このことは『きらら式相性度数鑑定』でも、100%に近い確率で当たっています。

 自分なりの確とした価値判断、自分なりの物差しを持つことこそ、良い縁を結び、その縁を尊び、その縁に随うための最強のツールです。

きらら(4/12)