「麻布のおかあさま」
気のせいか、寒さも心地よく感じられます。
そして、子どもたちにとっては、お友達との別れの月。
…今も、「蛍の光」を歌うのでしょうか?
今日、最初のお客様は、わたしの亡母と同じ名前ということもあって、いつしか”麻布のおかあさま”と呼ぶようになったHさんです。
御年87。
来年は米寿です。
Hさんとの出会いは、今から5年前。
お友達と一緒に初めて歌舞伎を観に行った時、偶々、お席が隣同士になったことがご縁で親しくなり、以後、年に数回、顔を見せてくれるようになりました。
Hさん「こんにちは。先日、今日も主人との思い出話を聞いて貰いに来ましたのよ(笑)」
最初の頃は、ご主人の健康や息子さんの事業やお孫さんの命名などの相談でしたが、3年前にご主人がお亡くなりになってからの、わたしの”役目”は専ら、在りし日のご主人との思い出話の聞き役です(笑)。
きらら「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
Hさん「無事に3回忌も終えることが出来たし…。きらら館に来ると、何だかホッとするわね」
きらら「”娘”のところへ来たと思って寛いでくださいな(笑)」
Hさんのお好みは日本茶です。
きらら「今日は福岡の八女茶を淹れてみました」
Hさん「あらあ、八女茶は主人の故郷の特産品なのよ。さすがはきらら先生!」
八女茶の話を皮切りに、ご主人の話が始まりました。
いつになく浮き浮きしています。
Hさん「ねえねえ、聞いてくれる。今日はねえ、ン十年前に主人と初めてデートした日なの」
きらら「あらまあ。Hさんは恋愛結婚ですか?」
Hさん「もちろん。わたしがひと目惚れしちゃって、後は押しの一手で…(笑)」
きらら「当時としては珍しかったでしょ」
Hさん「終戦の混乱期で、みんなが懸命に生きている時代に何をチャラチャラしているのよ!って親兄弟、親戚一同には叱られたけど、馬の耳に念仏。1年ほどお付き合いして、わたしが22歳、主人が25歳の時に結婚したのよ」
何事にも情熱一本槍、Hさんらしい話です。
Hさん「主人には親が決めた許嫁がいたらしいんだけど、わたしも必死よ。好きで好きでたまらなくて、周囲の反対を押し切って、まるで駆け落ちみたいに結婚しちゃったの」
きらら「ワオッ!」
Hさん「格式の高いお家の長男だった主人は、おかげで3年間、勘当されちゃって…(笑)」
きらら「あらあら(笑)」
Hさん「だから、わたしたちは結婚式も披露宴もなし。でも幸せだったわ。4畳半ひと間の部屋で、誰にも気兼ねしないで大好きな主人と新婚時代を送れたんだから…。それこそ愛こそすべてのような毎日だったわ」
きらら「ごちそうさまです(笑)」
Hさん「当時では珍しい共働きだったし、とにかく1分、1秒でも主人と一緒に居たかったから家を出るのも一緒、帰ってくるのも途中で待ち合わせて一緒。
もう一度、戻れるものならあの時代に戻りたいなあ」
きらら「Hさんはどんなお仕事を?」
Hさん「”花のタイピスト”よ。女学校時代に少し習っていたので、それを活かして…。当時の職業婦人にとっては花形のお仕事のひとつだったのよ」
きらら「ヘ~ッ!恰好いいなあ」
Hさん「3年ほどで長男が、翌年に長女が生まれ、その後はふたりが成人するまで、ずっと子育てと家事。主人が独立してからは、会社の経理。長いようで短い、あっという間の人生だったわね」
そろそろ、おのろけ話が出てくる予感…?
Hさん「あの当時の主人は、長身で、凛々しくて、わたしには勿体ないようなイケメンだったけど、浮気もしないで…」
アレッ、以前の話では何度か、ご主人の浮気が原因で、生きるの、死ぬのの大騒ぎになったはずなんだけど…?
Hさん「主人の還暦記念ということ長男や孫たちと富士山に登ったんだけど、その時山頂で、主人から『お前と一緒になって良かった。感謝してる』って、しみじみした顔で言われたことを、昨日のことように思い出すわ」
きらら「富士山で感謝の言葉なんて、ロマンチックですね」
予想通りの展開です。
きらら「新しいお茶を淹れますね」 (続く)