『便利の代償』

『便利の代償』

この季節は、街ゆく人の表情もどこか柔らかく見えるものですが、今年はどうにも違います。
物価高に加え、先の見えない世情のせいか、電車の中も、街角も、みな“心ここにあらず”といった風情。

便利になれば人は幸せになる――かつてはそう信じられていましたが、どうやら話はそれほど単純ではなさそうです。

最近は、道に迷ってもスマホ、漢字を忘れてもスマホ、待ち合わせの時間もスマホ、さらには「今日は何を食べたいか」まで動画サイト任せ。
なるほど確かに便利です。(笑)

しかし、便利になるほど、人間は“考える時間”を失っているのではないか、と。

昔は、電車の中ではボンヤリ窓の外を眺めたり、本を読んだり、あるいは取り留めのない空想をしたものです。
ところが今は、一秒でも“無音”や“無刺激”に耐えられないかのように、誰もが小さな画面を見つめています。

先日、小学生くらいの男の子が母親にこう聞いていました。
「ねえ、なんで大人って、ずっとスマホ見てるの?」

――思わず苦笑い。

子どもの目には、大人たちは“忙しそうな機械”に見えるのかもしれません。
考えてみれば、連絡は速くなり、買い物も便利になり、世界中の情報も瞬時に手に入る時代です。
それなのに「時間がない」「余裕がない」「疲れた」が口癖になっているのは、なんとも皮肉な話。

便利さとは、本来“人間を楽にする道具”だったはずですが、いつの間にか“人間を急かす道具”へ変わってしまったのかもしれません。

占いでも、「運を良くしたい」という相談は数多くあります。
もちろん方位や時期も大切ですが、それ以前に、心の“余白”を失っていては、良運も入る隙間がありません。

たまにはスマホを閉じ、遠回りでもして、季節の風でも感じてみる――。
そんな“無駄”の中にこそ、人間らしさや運気回復のヒントが隠れているような気がします。

きらら(5/17)

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