「続・雑学講座」

今年の春は気まぐれ。

寒の戻りどころか10日なんて真冬。

どうなっているんでしょう?

長らく目を楽しませてくれたサクラもそろそろ見納め。

神田川はピンクの絨毯を敷き詰めたみたいです。

今日の『週刊きらら』は、好評だったF先生の「雑学講座」の続編です。

珈琲カップを手におもむろに口を開くFさん。

「きららさんは、わらべ歌の『蝶々』というのを知ってるよね」

「“蝶々 蝶々 菜の葉に止まれ 菜の葉に飽いたら桜に止まれ~~”でしょ。
子どものときによく歌ったものです」

「花から花へ飛ぶ蝶を歌ったのどかな歌だが、原曲はドイツで、それがアメリカに伝わり、明治時代にアメリカに留学していた日本の国文学者が独自の歌詞を付けたものなんだよ」

「てっきり日本の童謡と思っていました」

「以前、童謡というのは往々にして歌詞の裏に『別の意味を含ませている』と言ったと思うが…」

「はい。『シャボン玉』、『てるてる坊主』とか…。じゃあ、この歌の蝶が何かの譬えなんですね」

「そう。昭和の時代に流行った歌の歌詞にもあったが、蝶は男、それも浮気性の夫で、花はその男の妻だ」

「いやだ~。てっきり、ほのぼのとした春の光景を歌った童謡とばかり思っていたのに、浮気ばっかりしている夫の帰りを待つ妻の寂しい気持ちを歌ったものだなんて…」

「ストレートに歌うと品がないし、角が立つので、それを何かに、この歌では蝶に託して心情を吐露するのは、よく言えば奥ゆかしい表現方法だ」

「童謡を無邪気に歌ってられないなんて、またまたガッカリです」

「単純に歌詞の通りに歌うもよし、裏の意味を理解して歌うもよし。――童謡はもちろん、民謡然り、短歌然り、もっと言えば日本文学自体の奥深さだわな」

「裏の意味が寂しさ、恨み、反抗、皮肉だなんて!――頭では理解できても全然、ウキウキしませんwww」

「口にする、書物にするものを二重構造にするのは、表現の自由がない時代の作者の“知恵”だろうな」

「気持ちは分かりますが、面倒くさいですwww」

「まだまだ修行が足りんなあwww」

きらら(4/15)