「世の中は『こそ』の二文字の置き処」

Coffee Cup私が大ファンのお爺ちゃん・Kさんが久し振りにお見えになりました。

Kさん「ヨッ、久し振り。元気にしとるか?」

気安くお爺ちゃんなどと呼んでいますが、かつては、経済界にこの人ありと謳われたKさん。畏れ多い限りですが、喜寿を迎えても、杖を突くどころか、エスカレーターやエレベーターは滅多に使わず、階段をスタスタ。今日も8階まで歩いて上って来てくれました。

Kさん「涼しくなったので、きららさんの顔を見に来たよ」

きらら「ご無沙汰しています。Kさんもお元気そうで何よりです」

珈琲好きのKさん。今日も「きらら先生の淹れてくれる珈琲は美味しいのう」とお世辞?を忘れません。

Kさんの場合は、何を占うというより、ほとんどの場合、私がKさんの「人生論」の聞き役です。
さて、今日はどんな“講義”でしょう?

Kさん「困ったことに、人生の先が短くなればなるほど、見えてくるものが多くてなあ。後悔の毎日だよ(笑)」

きらら「エッ、功成り名を遂げたKさんが、後悔するなんて…?」

Kさん「現役時代はしっかり考えていたつもりでも、今になって振り返れば、『あの時はこうすれば良かった!』、『どうしてあんなことをしたのか?』と反省することばかりだ。僕自身、つくづく未熟だったと思うよ」

きらら「Kさんが未熟なら、私なんかどうすればいいのですか?(笑)」

Kさん「世の中は『こそ』の二文字の置き処。『こそ』で乱れて『こそ』で治まる。――現役時代は、『こそ』で乱れ放しだったが、引退後にようやく人の世は『こそ』で治めなければイカンと思えるようになったよ。時期、既に遅しだがな(笑)」

きらら「何となく理解できるような――どういう意味ですか?」

Kさん「最初の『こそ』は『自分こそ』の『こそ』、ふたつ目の『こそ』は『あなたこそ』の『こそ』なんだが、要するに世の中は『こそ』をどちらに置くかで、争いになったり、仲良くなったりするという意味だ」

きらら「なるほど。『自分こそ』と言い張れば衝突するし、相手を立てて『あなたこそ』と譲れば円く治まる。――言い得て妙ですね」

Kさん「夫婦然り、家族然り、友人然り、もっといえば社会全体然り。今の世の中、みんなが目の色を変えて『自分こそ』と言い張ってばかりだから、ギスギスした風潮になってしまってるんじゃないかな」

「世の中は『こそ』の二文字の置き処、『こそ』で乱れて『こそ』で治まる」――実に含蓄に富んだ言葉です。

きらら(9/20)