「子どもは子ども、親は親」

中学生ご主人の転勤で、数年前に関西某県に引っ越したOさんが顔を見せてくれました。

 

きらら「お久し振りです。東京へはいつ?」

 

Oさん「さっき着いたばかりよ。きらら先生に是非、話を聞いて貰おうと思って一目散に飛んで来たのよ!」

 

きらら「光栄なことだけど、どうしたの?」

 

Oさん「ひとり息子のことよ。主人は『お前が産んだ子どもだろ』って、まったく聞く耳を持ってくれないし、もうどうしていいか分からなくなって…」

 

きらら「息子さんって、以前、ここに連れて来たことのある、あのボク? あの時は確か、小学生だったけど?」

 

Oさん「もう高校生よ」

 

きらら「エ~ッ、高校生!早いわねえ。随分お勉強も出来たし、さぞかし凛々しい高校生に成長したんじゃないの?」

 

Oさん「凛々しいどころか、高い月謝を払って塾に通わせ、小学校、中学校はずっと3番から下がったことがなかったし、難関のA高に入学するまでは“自慢の息子”だったんだけど、現在はもうメチャクチャ。髪は茶色に染めるは、耳にはピアス。勉強どころか、毎日夜遅くまでスマホに夢中で、成績はガタ落ち。それを注意しても素知らぬ顔で、挙句の果てには『産んでくれって頼んだ覚えはない。もういい加減、俺のことは放っておいてくれ』と憎たらしい文句ばかり。小さい時は何でも言うことを聞く“いい子”だったのに、何が原因で180度変わってしまったのか。もうノイローゼになりそうよ。助けて、先生!」

 

きらら「Oさんが、息子さんを掌中の珠のように大事に育ててきたのは事実だし、それなりに期待していた気持ちは、私も母親のひとりとして分からないでもないけど、以前も言ったと思うけど、教育ママとして、ちょっと干渉しすぎたのが原因だわね。いい加減、子離れしなきゃ」

 

Oさん「でも、あんな見苦しい茶髪やピアスはないでしょ!」

 

きらら「わたしたちの世代では、確かに理解しづらいけど、今の時代、ああいう恰好をするのは自己顕示欲の一種なのよ。『わたしはこんなに子どもを愛している』という“美しい言葉”を借りて、自分の価値観を押し付け『ああしなさい、こうしなさい』って目くじら立てること自体が、子離れ出来てないことの表われよ」

 

Oさん「先生も息子の味方なんですか?」

 

きらら「味方とか、敵とかいう話ではなく、息子さんは『自分の自由にしたい、自分好みの子どもになって欲しい』と、うるさく言うOさんに、茶髪とかピアスで『あなたの言いなりにはなりませんよ』って抵抗してることを分かってあげなきゃ。もっと言えば、それだけ成長したっていうことの証しよ」

 

Oさん「じゃあ、どうすればいいの?放っておけというの?」

 

きらら「そうよ。あれこれ言わずに、放っておけばいいのよ。Oさんの尺度に合わなくても放っておけばいいの。思い切った寛大さが一番よ」

 

Oさん「そんなことは…」

 

きらら「元々、Oさんと息子さんは相性抜群の親子だもの。息子さんは、小言を言いたくても、そこをグッと我慢しているお母さんのことを、いじらしく思って、より理想的な関係になるはずよ」

 

Oさん「そうかしら?」

 

きらら「小さい時は100%の愛情を注ぐことは絶対に必要だけど、中学、高校になったら、たとえ親子でもベタベタしないで、程良い距離を保つことが大切よ。親は親、子どもは子ども。そして息子さんの方から相談を持ち掛けてきた時や本当に親の出番が必要な時にビシッと言うことこそが“親子の証し”だと思うわよ」

 

Oさん「できるかしら?」

 

きらら「やらなきゃ。“元服”まで育てれば親の役目は終わったと開き直って、無視するぐらいの態度でいいのよ。あなたが変われば息子さんも変わるわよ」

 

Oさん「すべては息子のためにと思ってきたのになあ…」

 

きらら「構わないのも親の“愛情”であり、それは同時に、子どもの人格を認めてあげることなのよ。そして、これからは今まで子どものために費やした時間を、ご主人のため、自分自身が楽しむために使えばいいの。せっかく新幹線代をかけて来てくれたんだもの。ウルトラマンみたいに(笑)しっかりと“変心”して帰ってください(笑)」

 

Oさん「そうよねえ。今度の日曜日は、主人と手をつないで、久し振りに六甲山にでも登ってみようかしら…」

 

きらら「あらあら。ご馳走様(笑)」

きらら(6/23)