「清能有容 仁能善断」――人生の要諦はバランス感覚!!

Balance昔から中国には、大きく分けると「儒教」と「道教」というふたつの思想の流れがありました。簡単に分類すれば前者は、エリートたちの思想、建て前の道徳であり、後者は、民衆の思想であり、本音の道徳と言えると思います。

実際のところ、表の道徳=儒教ばかりでは、たとえ理論的には合っていても、息が詰まる世の中になってしまいます。そこで、それを緩和、補完する役割を担ったのが、裏の道徳=道教というわけです。

建て前と本音、表と裏――儒教と道教は、あたかも車の両輪の如き関係で、長きにわたって中国人の意識や生活に浸透してきました。

しかし、残念ながら、この“両輪”は「心の問題」については無頓着で、悩める人たちを助けることはできませんでした。そうした折、その欠点を補うべく、著者の洪自誠が取り入れたのが、インド伝来の「仏教」でした。

つまり『菜根譚』は、儒教、道教に仏教の教えをミックスして処世の道を説いた、実に欲張りな(笑)書物なのです。

だからこそ、厳しい現実に直面して懊悩している人にも、あるいは不遇な状態に絶望している人にも、さらには心の安寧を欠いた人にも、長きにわたって「座右の書」として読まれてきたのです。

前置きが長くなりましたが、タイトルの「清能有容、仁能善断」もその『菜根譚』の中の一節です。
<☛清(せい)にして能(よ)く容(い)るるあり、仁(じん)にして能く断(だん)を善(よ)くす、と読みます>。

直訳すれば、「清廉であって、包容力がある。思いやりがあって、決断力がある」という意味ですが、換言すれば「深い観察力を持ちながら、相手のアラ探しはしない」「純粋でありながら、極端な言動に走らないず」「聖を尊び、それでいて俗に通ずる」「蜜は使うが甘過ぎず、塩を使って辛過ぎず」――すなわち合い、矛盾するふたつの面をバランスよく使い分けることこそが、理想的な人生を送る要諦であると説いているのです。

きらら(4/14)