「君子交絶不出悪声」

peach先月某日、元K大学で教壇に立たれていたS先生が主宰する『史記研究会』に聴講生として参加してきました。

「散歩の途中なんだけど、私の“第二の人生”を鑑定してくれるかな?」…偶然の出会いから4年。現在も時々、足を運んでくれるS先生が代表として始めた研究会とあっては、何はともあれ…是非にとお願いして末席に座らせて戴いた次第。

周知の通り、『史記』は、漢代の史家・司馬遷によってまとめられた歴史書ですが、研究会では、司馬遷が独特の観察眼によって記した、人間の運命に対する共感と慟哭の叫びを、S先生が丹念に解説、人それぞれの生き方を学びます。

さて、S先生の当日のテーマは、タイトルに掲げた『君子交絶不出悪声』(君子は交わり絶つも悪声を出ださず)でした。

一見、仰々しい感じの文章ですが、直訳すると、「世の中には、親しく付き合っているうちはいいが、ひとたび不仲になると、途端に相手の背信行為をあげつらって悪口を言いふらす人がいる。しかし、君子たる者、たとえ非は相手にあろうとも、交際が絶えた相手の悪口を言わないものだ」となります。

その理由は、第一に「絶交した相手についてあれこれ悪口を言うこと」は、それは取りも直さず「自分自身に相手を見る目が無かったことを公言する」ことであり、第二に「人の口に戸は立てられない。悪口はいつか必ず相手の耳に入り、あらぬ恨みを買うことになる」からだと説きます。

言われてみれば「さもありなん!」…思わず膝を叩きたくなる言葉ですが、そうは言っても「言うは易し、行なうは難し」が世の常。「自分に非はなく悪いのは相手」なのに、そこをグッと我慢、自分の人を見る目の無さを反省するのは、まさに「判っちゃいるけど~」の世界です。

ならば、少しでも「司馬遷の教え」に近づくためにはどうすれば良いのか?…早速、S先生に聞いてみました。

先生いわく。にっこり笑って「自分もそれほど信頼していないのに信頼したフリをして付き合っていれば、相手だって同じ気持ちで付き合うものだ。一旦、心を開いた相手はトコトン信頼する。それに尽きると司馬遷は言ってるんだと思うよ」

う~ん。やっぱり司馬遷は深~い!!

きらら(4/7)